顎関節症の僕にビックマックは無謀だった。

うつで休職中のアラフォーが未来への葛藤と苦悩をつづる普通の日記です。


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カウンセリングの経過報告5

こんにちは。

k-byteです。

先週金曜日のカウンセリング報告です。

最近、うつがひどいです。

行動意欲が出ません。

今回も間が空いてしまいました。

 

今回のカウンセリングも、

平たく言えば世間話。

前回のカウンセリングを受けて、

また、心療内科での話を受けての

今回の話となりました。

 

今回のテーマは『部分と全体』という言葉で表せると思います。

 

前回の心療内科の報告で、

僕は仕事を否定されると僕自身を全否定されている気分になる話をしました。

これって、逆のことも言えて、

仕事の意見で対立する人に対して、

僕はその人の人格全てを嫌いになってしまうことがよくあります。

そんな話をカウンセラーさんにしたところ、

「それは人を部分で見る傾向が強い」

と言っていました。

 

人には良いところも悪いところもあって、

いろんな側面があって当たり前。

何か悪いところがあるのはあくまでもその人の一部であって、

その人の全てを表しているわけではない、とのこと。

良い部分を含めて全体で見る必要がありますね、

と言っていました。

 

うーん。難しい。

僕の場合、嫌な部分があるとそのフィルターがかかってしまいますから。

イライラするから自分から遠ざかってしまって、

仕事も頼めなくなってしまいます。

 

適度にその辺をうまくやりくりできる人も多くいるんでしょうが、

僕にはその感覚がさっぱりわかりません。

人をみて全てを決めてしまうことも多くて、

考えてみれば、不動産屋さんも家の性能とか間取りよりも、

応対してくれた人がいい人かどうかで決めていました。

逆に、保険屋さんの人が合わないなと思ったら、

タブーである担当者を変えることも無理言ってお願いしたこともあります。

(すごーくもめたらしいです)。

 

その人の人あたりだけをみて良し悪しを判断して、

全体的なところはほとんど見てない生活を

結構やっていたんだなと気づかされました。

 

でも、さっきも言いましたが、

じゃあ全体的にものを見よう!とはなかなかいかないかも。

難しいです。僕には。

割り切れるんでしょうか?

こればっかりはわかりません。

 

余談。

部分と全体の話は子どもの行動には顕著です。

例えば、カレーが大好きな子供でも、

いつも入っていない、ちょっと苦手な野菜が入っていると、

カレーをカレーとして捉えられなくなって、

しまいには「カレーが嫌い」と言って

全く食べないようなことがよくあります。

 

嫌いなものにフォーカスが当たって、

カレーという全体像が見えなくなるのが部分視と呼ばれるんだそうです。

僕はそのコミュニケーション版なんですね。きっと。

逆に、全体視と呼ばれるものは、

物事の流れを把握することは得意だけど、

細かいところに注意は向きにくいんだそうです。

 

なので、理想は部分と全体を両方見る目を持つということなんでしょうね。

 

 

それでは。